memoriary today

ブログというよりメモ、日記。そしてたぶんオタ日記。

父さんは母さんをどう見送りたかったのか

7/3にシン・エヴァンゲリオン劇場版(1.01版)を観てきました。
もう何回目か数えてもいませんが(...と言いながらもう2桁にはなる(笑))今回は池袋で、1.01版で唯一?の特別上映「BESTIA」を。

...なんですけど、鑑賞がいい加減なのか、これだけ観てもまだ飲み込めてないところがあるんですね。最終的にはわからないままなのか、ディスクを買ってから舐めるように観てわかってくるのかわかんないですけど。

で、そのなかで一番引っかかっているうちの一つがタイトルのそれです。

まぁ、ゲンドウくんは「ユイに会うこと」を目的に世界中を巻き込んだ「人類補完計画」をゼーレの意図とは違う方向で進めていることは知ってますし、一方でユイはどこでか忘れましたが人間の存在を残すためにエヴァ初号機に取り込まれてます。

で、フォースで槍を、いや、こんな言い方をしたらスターウォーズとかぶってしまうので「フォースインパクトで槍を2本残して」ゼーレとは違う結末に舵を切ります。

その後、アディショナルインパクトを起こすべく黒いリリスことエヴァンゲリオンイマジナリーに槍を2本刺す、と。

アディショナルインパクトでゲンドウくんがやりたかったのは旧劇場版でシンジが最終的に拒否したことそのもので、聞き覚えたような文章で乱暴に言うとすれば「出来損ないの人類を単体にまとめてしまう」ことのはず。その中ではATフィールドもないのだから個人の区別もない。

だとすれば「見送る」も何もなく一つになっちゃうんだからいいじゃんと思うのだが、そうでないんでしょうね、「見送る」のだから。いや、そうとも言い切れないか。だとすると可能性は2つあるかも。

えーと、

 1)(前提なしに自分が補完されるから)ひとつになってしまう前にゲンドウとしてユイを見たい
 2)永遠にエヴァの中で生きるユイを補完される前に見送りたい

2)はゲンドウがユイの行動の真意を知っている場合、かつ補完にエヴァ初号機が含まれない場合にあてはまると思うんですよね。補完にエヴァ初号機が含まれればユイの意図など関係ないから1)になってしまう。

 

でもそもそもエヴァ初号機が補完でひとつになってしまうならユイがそんな選択をするだろうか、という疑問がここで沸き起こります。あのユイが、「人間の存在証明」を消すことを簡単に許すのか、ですよ。

そして、ユイの意図は、確証を持ってないですが冬月先生(とマリ)は知ってるけどゲンドウは知らなそうな気がするんですよね。知っていたらそもそもゲンドウはユイにあんな実験をさせないはず。

 

とすれば、やはり「人間としての存在が消える前に一度会いたい」だったのか。補完計画が不可避だとすると、そして使徒に滅ぼされないがヒトの可能性に期待もしていないゲンドウとしてはそれしかなかったのか、と思い至ります。

 

ただシンプルに(もうゲンドウは人を捨ててはいるものの)「補完される前の個体として会う」ことが「見送る」だとすると、それはそれであってるのかな。

シナリオとは違い、初号機と13号機の中の存在として、ユイの槍で一緒に向こうの世界に行ってしまうのですけれど。

 

でもそれはある意味、ゲンドウにとっては息子の成長を確かめ、自分を受け入れ、かつ最愛の人と一緒に逝くのだから、自分の思った結末よりずっといいものだったかもしれない。

 

いや、文に起こしてみるもんですね。

なんとなく自分としては折り合いがつきました(笑)